学園の歴史とつながり

盛岡スコーレ高校は、岩手の女性をサポートするために生まれました。そこにはよい家庭、よい社会をつくるために皆で学び合おうという意思がありました。料理や教養、裁縫、育児、農作業など、衣食住に関した全てのことを学ぶために、在校生や卒業生、皆が互いの先生になったのです。

そして、学習や作業をしている間に子供たちを集めて面倒をみていた施設が、後の「スコーレ幼稚園」となり、食材を栽培し、料理の研究を行い、製品の普及販売を進めていくうちに事業部も立ち上がりました。

連携イメージ図

高村光太郎先生とスコーレ

高村光太郎先生は彫刻家として詩人として日本の誇る立派な芸術家です。

戦後花巻におられた高村先生のもとに、盛岡スコーレ高校の創立者で初代校長である吉田幾世が訪れたことから、その交流がはじまります。高村先生は、盛岡スコーレ高校の前身旧向中野学園高校の卒業式で記念講演をしてくださった際このようなことを話してくださいました。

「私はこの学校が大好きです。それはここにはフロンティアの精神があるからです。」
高村先生がスコーレに残してくださった遺産は他にもあります。

一つはホームスパンです。高村先生は工芸で機織りを学んでいることはとても珍しいことだから、糸つむぎもしてみると良いとおっしゃり、有名なホームスパンの第一人者を紹介してくださいました。一時期は羊を育て毛を刈って羊毛を紡ぐほど熱心に勉強しました。現在もその技法は受け継がれています。

ぶどうジュース

もう一つは農産加工のぶどうジュース製造です。先生はフランス留学の経験から、フランス語のジュースの文献を貸してくださり、その活動を支えてくださいました。現在でもスコーレ事業部では純正のジュースを製造して皆様に提供しています。

染物

また、きょうけつ染めも高村先生に教えていただいたもので、以来スコーレではきょうけつ染めを愛し続けています。幼稚園では卒園の式次第のために一人ひとりが製作しています。
「吉田幾世著 私たちの学校の歴史」より一部抜粋

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